池袋モンパルナス探訪記 マンガ家の聖地に行ってみた 前編
ほんのりと寒さがゆるんできた2月某日。大江戸線に乗り、落合南長崎駅にやってきました。
地上に上がると、スタイリッシュなショッピングセンター「アイテラス」が目の前に。ピカピカのスポーツセンターもすぐ近くにあり、暮らしやすそうな街です。
今日の散歩のテーマは、豊島区、いや日本が誇る文化遺産というべき「マンガ家の聖地」めぐり。妹は先月から引き続きバタバタしているので、ひとりでのんびり探索してきました。
まずは「南長崎ニコニコ商店街」を目指します。池袋駅から来る場合は、西武池袋線の椎名町駅が最寄りです。
立派な構えの製油所。
落ち着いた商店街に、「トキワ荘のヒーローたち」の赤い旗がたなびいています。ここは、かつて手塚治虫をはじめとする現代マンガの巨匠たちが生活し、青春の日々を過ごしたアパート、トキワ荘があった場所。アパート自体は取り壊されましたが、周辺には記念碑や、トキワ荘に関する展示を行う施設があるとのこと。
「味楽百貨店」なるマーケット。歴史を感じさせる建物がチラホラ残る、味のある商店街です。
南長崎花咲公園で、ひとつめの記念碑を発見しました。ゆかりのマンガ家10人の似顔絵とサインの上に、ブロンズ製のトキワ荘がのっています。手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫……と、奇跡のようなメンバーに改めてびっくり。
再び商店街に戻り、看板を目印に路地の奥へと進みます。
=”405″ class=”alignnone size-large wp-image-1513″ />ありました! かつてトキワ荘のあった場所です。今は出版社が建っていますが、同社の好意により、トキワ荘を象ったモニュメントが設置されています。
トキワ荘は、1952年12月に棟上げされました。このころ戦後の復興に伴い、就職や進学のために上京する若者たちのために、トキワ荘のような安アパートがたくさん建てられたのだそう。
トキワ荘は木造モルタルの2階建てで、部屋は四畳半。炊事場とトイレは共同、風呂なしで、家賃は3000円でした。
出版社の紹介で、建てられたばかりのトキワ荘に手塚治虫が入居したのをきっかけに、マンガ家を目指す若者が次々と入居。そのほとんどがマンガ家として大成した「伝説のアパート」として、今も語り継がれています。このモニュメントを触ると、かつてこの地で暮らしたマンガ家たちのパワーをいただけるのだとか。
取り壊される前のトキワ荘の様子は、ドキュメンタリー「わが青春のトキワ荘」で見ることができます。1982年、老朽化したトキワ荘が解体されることになり、メンバーが同窓会を開こうと集まったときを取材したものです。
当時のトキワ荘については、藤子不二雄の自伝的作品『まんが道』などにも描かれているので、ご存じの方も多いはず。跡地のすぐ近くには、メンバーが愛してやまなかったラーメン店「松葉」が、現役で営業しています。
扉には、『まんが道』の「松葉」登場シーンが。
つくりは古いけれど、清潔な店内です。黒光りするテーブルに腰を落ち着けてラーメンを注文。
「メンマが売切れちゃって、ごめんなさい」と運ばれてきた熱々のラーメン。『まんが道』で「ンマーイ!」と、藤子不二雄の2人を感動させた、あのラーメンです!
トキワ荘の面々は、ラーメンライスにして食べるのがお気に入りだったそう。あっさりとして懐かしい、昔ながらの味わいです。チャーシューが極厚でおいしい!
カウンターの上には、ここを訪れたマンガ家の色紙がズラリと並んでいます。
トキワ荘があった頃の「松葉」はこんな様子だったのだそう。
書き込み自由のノートが置いてありました。さすが、イラスト入りの人が多かった! ササッと描いてあるのに、みんな上手です。
お腹がいっぱいになったところで「トキワ荘通りお休み処」に向かいます。ここは、トキワ荘ゆかりのマンガ文化発信地。1926年築の吉津屋米店を改装し、2013年12月にオープンした施設です。
中へ入ると、スタッフの女性が「初めてですか?」と声をかけてくれました。奥のテーブルでは、少年がせっせと何かを描いています。
さあ、座って! と言わんばかりのミニ書斎。
来たばかりなのになぜかホッコリしてしまう、この不思議施設の正体は? 後編で詳しくご紹介します。
■豊島区立南長崎花咲公園
東京都豊島区南長崎3-9-22 南長崎花咲公園内
■トキワ荘跡地 モニュメント
東京都豊島区南長崎3-16-6
■松葉
東京都豊島区南長崎3-4-11
営業時間:11:00〜15:00、16:00〜21:00
東京都豊島区南長崎2-3-2
営業時間:10:00~18:00(最終入館は17:30)
定休日:月曜日(月曜日が祝日の場合は、火曜日が休みになります)
入館料:無料
カテゴリー:アート